T O R U S U Z U K I

山梨市観光大使



この度、地元である「山梨市」の観光大使に任命していただきました。正直、自分が一番びっくりしています。。。

山梨市の有名どころだと、、、西沢渓谷やフルーツ公園、ほったらかし温泉ですね。あと、果樹園が多く、春には、桃のピンクの花がキレイに咲き誇ります。その後はフルーツ狩りが始まり、春から夏まではイチゴやサクランボ、夏から秋にかけてはブドウ狩りが盛んです。

以上の施設に足を運んでいても「山梨市」を知らない人が意外に多いので、まずはその点から改善していきたいですね。

今後もスポーツや講演会を通じて「山梨市」良さを伝えていきますので、ぜひ、今後は行き先の1つとしてご検討ください。

ロンドン大会を振り返って~高跳び編~




なかなか日本時間に対応できずに夜中パッチリで、昼間、眠たい生活を送っていますが、体調は日に日に良くなっています。

さて、いよいよ迎えた9月8日(土)の「走り高跳び」決勝。
事前の準備も現地での調整も過去3大会を比べると一番良い状態でしたので、試合はとても楽しみで、大観衆の中で自分がどのくらい跳べるかがとても楽しみでした。

試合は19時10分からでしたが、なんと召集終了時間は17時50分。国内では、試合の40分くらい前ですが、この大会のフィールドは試合時間の1時間20分前。かなり早いですが、世界では良くあることなので、アップで息を上げすぎないように注意をしながらアップは短めにしました。

召集を抜け、いざ「メインスタジアム」へ。リレーとは違い、係員に誘導されながら1人で他国の選手と歩いて高跳びのピットまで向かいますので、過去の大会では海外選手が強く見えて萎縮したり、その孤独さに耐えられずナーバスになったこともありました。
ですが、今回はそんな様子はなく終始、冷静でした。途中、顔馴染みの選手と挨拶をしたり、ハイタッチをしたりしました。自分のペースを崩したくなかったので、友人にいただいたオークリーのサングラスをしながらピットまで向かいました。

会場は土曜の夜ということもあり、ほぼ満席状態。応援に来てくれていた家族やスタッフ、選手のみんなに笑顔で手を振りながらベンチへ。さっそく、助走のマークを計り、助走練習へと移行していきました。コーチの福間先生の場所を確認するために1階の観客席を見渡したのですが、一向に見つからず跳躍練習へ。。。多少、取り乱しましたが、スタッフが探しにいってくれなんとか公式練習には間に合いました。どうやら、昨日まではセキュリティーが甘かったようですが、今日はかなり厳しかったようで、なかなか通してもらえなかったとのことです。でも、試合前に確認できてホントに良かったです。

助走練習後の公式練習は、1m70と1m80を軽くクリアし、練習終了。かなり状態が良かったので、本番にとっておこうと練習も控えめにしました。スタートの高さは1m70でしたが、1m75までパスをし、1m80から競技をスタート。

会場では色々な種目が同時進行しているので、観客の声援が湧き上がる中、1m80、1m85、1m90とミスなく、1発でクリア。続く1m95は1本目、2本目ともに失敗をしてしまったが、体は十分に浮いていたので、上手く調整をして3回目にクリア。この時点で、競技者が10人から5人へと減り、ここからが本当の勝負となりました。

続く1m98は、セカンドベストということもありやや動きが硬くなり、1回目を失敗。2回目も落ち際でバーを落としていたので、3本目は縮こまらないように大きく動くことを意識しながらスタート。バーには少し身体が触れましたがクリア。次の試技は、CHEN選手(中国)。彼が失敗すれば銅メダル確定で、成功すれば次の2m01の高さで勝負。追い込まれた中で一番の跳躍をし、見事クリア。予想通り、2m01を跳ばないとメダルはなくなりました。

4人でのメダル争いとなり、LEPIATO選手(ポーランド)は1発でクリア。JEFF選手(アメリカ)とCHEN選手は2回目でクリアし、ボクは3回目までいってしまい、この時点でこの高さを跳んでもメダルは厳しくなりました。もちろん、その中でもベストは尽くし、一瞬、「跳んだ!!」と思ったのですが、無残にもポロッとバーが落ちてきて、ボクのロンドンへの挑戦は終わりました。

2mを跳んでメダル獲得を目標としていただけにどちらも達成できずに悔しい気持ちはいっぱいでした。でも、自分の持てる力は全て出し切りましたし、この大舞台でこの大観衆の中で自分らしいがJumpできたので、結果以外は満足しています。

試合前から試合後までたくさんの声援を送ってくれた家族やスタッフ、選手たち。また、直接、声は届きませんでしたが、日本からもたくさんの方々が応援をしてくれましたので、本当に試合中は楽しかったですし、大観衆に拍手を受けながらのJumpは最高で、とても気持ち良かったです!!

試合後は、ミックスゾーンでNHKやスカパー、各新聞社の取材を受け、家族のもとへ。2人の息子はすでに寝ていましたが、ボクのJumpは最後まで見てくれていたようなので、ホッとしました。でもけっこう失敗したから「パパ、失敗してばっか」と言われるかが一番の心配事でしたね(汗)。実際は、言われませんでしたが・・・。
時間も遅かったので、家族と別れ、仲の良いリレーメンバーとオスカー選手の400mの金メダルを見てから選手村に帰り、夕飯を食べてなかったので、大好きなマクドナルドのフライドポテトを2つ食べて部屋に帰りました。


今になって冷静に考えてみると、「これでもまだメダルには届かないか~」と思うと多少の落ち込みますね。ですが、その世界のレベルの高さと、今回、2m12の世界新で優勝した選手には脱帽でした。2m12というと、高校のインターハイではおそらく3位には入りますし、年によっては優勝できる記録でもあります。ボク自身、まだそこまでのレベルまでいってはいませんが、そのレベルの選手たちと勝負しているという点では、非常にやりがいのあるものだと思っています。だからこそ、ここで辞めるのはもったいないな~と思っていますし、facebookやブログを通して、色々な方に「まだできる!!頑張れ!!」と言っていただきました。なので、すぐに「4年後を目指す」と言いたいところですが、まだ終わったばかりでそこまで考えられずにいますので、来年からまた1年1年積み上げていって、2016年のリオ大会の年に勝負できる位置にいたらまたチャレンジしたいと思います。

今回、オリンピックにも出場したオスカー・ピストリウス選手が400mこそ優勝しましたが、200mは銀メダル、100mは4位という結果で、オスカーでも負ける時代がやってきました。オリンピック同様、勝負に絶対はなく、4年に1度の大会だからこそ“何かが起きる”と思っていますので、ボクも何か起こせるようにこれから頑張っていきたいと思っています。もしかしたら、4年後にコーチになってるかもしれませんが、一応、5度目のパラリンピックなので、少しは扱ってくれると嬉しいんですが・・・。

30歳をこえると年齢のことを言われることが多いのですが(苦笑)、これまでなんとかなってきていますし、大きなケガさえしなければなんとかなっていきそうです。今後も自分の可能性を信じ、また期待をしながら自分のペースでやっていきたいと思っていますので、今後もボクのチャレンジ精神にご期待ください♪

今後とも応援のほど、宜しくお願いいたします。

ロンドン大会を振り返って~リレー編~

チーム切断
『チーム切断』(左から、春田くん、山本くん、ボク、多川くん、佐藤くん)と塩家コーチ
※別名『チーム焼肉』!?

帰国3日目にして時差ボケから少しずつ解放されつつあります。
まずは、3走で出場した「4×100mリレー」。タイム的には、世界ランキングは5・6位。正直なところ、中国をやフランスなど、タイムを申請していない国もあったので、正式にはランキングはもっと下でした。ということは、普通に走ってもメダルどころか入賞され危ぶまれていました。

もちろん、みんなが自分のタイムを縮めることが一番ですが、一気に1秒も上がることは考えられないので、日本のお家芸である「バトンパス」の精度を上げることをチーム目標としました。それも後から追いつける走力は備えてないので、走順は『先行逃げ切り型』で、一番速い多川くんを1走にし、スプリント力がある春田くんと佐藤くんはストレートで、高跳びの助走で嫌でもっていうくらい走っているボクが3走のコーナーを担当しました。

メンバーは、アジアや世界選手権でリレーを走った経験がある選手ばかりなので心配はなかったのですが、この走順(多川→佐藤→鈴木→春田)は初めての試み。なので、初めは1→2走、2→3走、3→4走と分けて部分練習を行いました。もちろん、すぐに合うことはないので、塩家コーチやメカニックの沖野さん、キャプテンの山本くんにチェックをしてもらいながら、合宿や試合を通して「量」をこなしていきました。

出発前の最後の調整大会となった「北区ナイター」。ようやく46秒台の壁を破る45秒78がでました。この日以降は、走り始めるマークの変更は一切せず、NTC(ナショナルトレセン)の合宿で出発前の最終チェックをやってからいざロンドンへ。
リレーは、中盤である大会5日目の9月5日。時間は、夜10時すぎでした。平日にも関わらず、観客席はほぼ満席状態。アップの際には、他の国がバトンパスの練習をしている中、我ら日本チームはというと、、、現地に来て一度、全体の通しをやっていたので、一切、練習はせず、各自のアップのみ。召集所へ向かう前には、サブトラックにいる選手・スタッフみんなで円陣を組んでさらに気合を入れ直しました。陸上競技の中では唯一、リレーだけみんなで召集所へ行けるので、道中は笑顔あり、笑いありの良い雰囲気のまま「メインスタジアム」へと歩いていきました。

入場した時の歓声はすごく、さらにテンションが上がりました!!
世界一バトンパスをやった自負がそれぞれにあったので、あとは「今できるベストの走りをするだけ」でした。
そして迎えたレースのとき。みんながそれぞれでベストを尽くし、45秒36の日本記録を樹立。順位は6位でしたので、メダルに届かなかった悔しさと日本新で入賞できた嬉しさが混じっていたように思います。

ミックスゾーンに向かう途中、上を見上げるとそこにはキャプテンである山本くんの姿が・・・。この日も誰がいつ交代になってもいいようにアップだけはしっかりしてくれていた山本くん。最後までサポート役に徹してくれていたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。取材を受ける中で、みんなが口を揃えてでた言葉は「5人で繋いだバトン」でした。もちろん、山本くんだけでなく、陰には塩家コーチと沖野メカニックの支えもありました。ボクは、この『チーム切断』だからこそ、むしろ、このチームでなければこの舞台での記録更新はなかったと思います。それくらいボクらの結束力は強かったです。

その後、取材を受ける中で、5位のドイツが喜ぶ姿が目に入りました。「何で?」と思いつつもふとモニターに目をやると、なんと順位が4位まで繰り上がっていました!!2位のブラジルと3位のアメリカが失格になったのです。こんなことが起きるのもリレーの醍醐味で、もちろん狙っていた訳ではありませんが(苦笑)、バトンを繋いで日本新を出せば1つでも上にいける可能性が十分にあると思っていたので、みんなの喜びはさらに増しました。
ですが、4位までくると、、、やはりメダルが欲しくなるのが人間の欲でしょうか。それでも、みんなの表情は良く、清々しい感じでしたので、結果に対する悔しさはほとんどなかったと思います。それよりも、北京で残せなかった公認の記録をこの舞台で記録でき、日本陸上の切断界に新たな歴史を刻むことができたのがボクの中では一番嬉しいことでした。おそらく、共に北京を走った多川くんもそう思ったことでしょう。多川くんどう?

出発前にみんなから「プーマでTシャツを作りたい」と無理なお願いを受けたので、社員の方にお願いをしてネーム入りのTシャツを作ってもらいました。背中に入れた文字は「Re:lay Team」。普通に見たらリレーチームですが、「Relay」ではなく、「Re:lay」にしたのは、北京のリベンジの意味ももたせたかったので、ボクが勝手にそうしました。初めは誰もその点を突っ込んでくれず寂しい気持ちになりましたが、結果、良い意味でお返しをできたので、終わり良ければ全てよしということで!!

中盤にきて、このリレーの結果が陸上チームに良い流れを・・・(「高跳び編」に続く)
















高跳びも!?・・・

1m98で4位でした。

2m01の3回目は「跳んだ!!」と思ったら、ポロっとバーが落ちてきて試合終了でした。メダルが見えていただけに悔しいですね。。。

ですが、今日は家族はもちろんのこと最終日ということで、たくさんの選手やスタッフが応援に駆けつけてくれました。日本選手団を含め大歓声の中での跳躍は最高でしたし、とても気持ちが良かったです!!

最後になりますが、日本から声援を送って下さった皆さん、本当にありがとうございました。コメントも大いに力になりました。

皆さんが応援してくれる限り、ボクは跳び続けたいと思います!!

今後とも宜しくお願いします♪

試合結果はこちらから↓

http://m.london2012.com/paralympics/athletics/event/men-high-jump-f46/fullevent.html#ATM020100

リレーは4位入賞!!


『チーム切断』のメンバー


ニュースで見た方も多いと思いますが、リレーは4位でした!!いや~大歓声の中でのRunはとても気持ち良かったです♪

ゴールした時は6位でしたが、2位のブラジルと3位のアメリカが失格となり一気に4位まで繰り上がりました。こうなると、メダル獲得への悔しさは残りますが、みんなベストを尽くしての結果なので満足していますし、何より補欠の山本選手を含めた5人で最後まで戦い、この大舞台で日本記録を出せたことが一番嬉しかったです。

ちなみに、優勝したのはオスカー・ピストリウス選手率いる南アフリカで41秒78で世界新記録でした。アッパレとしか言いようがありません。。。

次はいよいよ8日の高跳びです。このいい流れのまま気持ち良く跳びたいと思います。

最後になりますが、たくさんの応援をありがとうございました。引き続き高跳びも宜しくお願いします!!

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